生年月日から性格や相性を読み解く「宿曜占星術(しゅくようせんせいじゅつ)」。その背景には、インドの星宿思想、中国で漢訳された宿曜経、日本の密教や宿曜道へつながる長い歴史があります。この記事では、宿曜占星術がどこから来て、どのように日本へ根づいたのかを、歴史読み物としてたどっていきます。
宿曜占星術とは?月の動きから運命を読む占い
宿曜占星術とは、月の運行を重視し、人が生まれた日に月がどの星座(宿)にあったかをもとに、性格や相性、運勢を読み解く占いだと言われています。
西洋占星術が太陽星座(いわゆる12星座)を中心に見るのに対し、宿曜占星術は月の通り道に注目するのが特徴です。月が地球を一周するのにおよそ27.3日かかることから、その軌道を27に分けた「二十七宿(にじゅうしちしゅく)」を使うのが基本とされています。生まれた日の月の位置によって「本命宿(ほんめいしゅく)」と呼ばれる自分の宿が決まり、それが運勢を読む土台になります。
「宿(しゅく)」とは、月が宿る星座のような区切りのこと。インド占星術では「ナクシャトラ(星宿)」と呼ばれるもので、宿曜占星術はこのインドの月の星座を起源にしていると言われています。
宿曜が月の運行から日々の吉凶を読んだように、一日単位で運気を見る発想は現代にも受け継がれています。今日の総合運勢を無料で診断して、暦のリズムを日常に取り戻してみてください。
インドから中国へ──宿曜経が生まれるまで
宿曜占星術のルーツは、インドの月宿を重視する占星術にあると説明されます。月や太陽、惑星の動きを観察してまとめられた占星術の知識が、やがて仏教の経典のなかに取り込まれていきました。
この知識を一冊にまとめたのが、正式名称を「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経(もんじゅしりぼさつおよびしょせんしょせつきっきょうじじつぜんあくすくようきょう)」という、長い名前のお経です。一般には「宿曜経(すくようきょう)」と略して呼ばれています。
このお経を中国で漢訳し、占術として体系づけたとされるのが、唐の時代に活躍した僧・不空三蔵(ふくうさんぞう)です。不空は密教を中国に広めた重要な人物で、宿曜経の漢訳者として挙げられます。こうしてインドの月の占星術は、中国の七曜(日・月と五つの惑星)や暦の知識と結びつきながら、「宿曜」という形に整えられていきました。
空海が持ち帰った宿曜経と、平安京での活躍
宿曜経を日本へもたらしたのは、真言密教の開祖である空海(弘法大師)だと言われています。空海は遣唐使として唐に渡り、密教の教えとともに多くの経典や仏具を持ち帰りました。そのなかに宿曜経も含まれていたとされ、9世紀のはじめ頃に日本へ伝わったと伝えられています。
空海が持ち帰った宿曜経をもとに、密教の僧たちが独自に研究を重ねた結果、占術として発展していったのが宿曜占星術のはじまりとされています。平安時代になると、宿曜を専門に扱う「宿曜師(すくようし)」と呼ばれる人々が現れ、彼らの占う「宿曜道(すくようどう)」は陰陽道と並ぶ暦占の一つとして扱われました。貴族社会では吉日や方角を選ぶうえで、こうした暦や占いの知識が参照されていたと考えられます。
宿曜の歴史をたどっていくと、私たちの暮らしに今も残る「占いに頼る心」が、千年以上前から変わっていないことに気づかされます。歴史ある占術を、現代の専門家に直接読み解いてもらいたいと感じたら、自宅にいながら相談できる電話占いを入り口にしてみるのも一つの方法です。
27宿と28宿──二つの数えかた
宿曜占星術を学ぶと、「二十七宿」と「二十八宿」という二つの言い方が出てきて、戸惑う人も多いようです。
二十七宿は、インドのナクシャトラを起源とし、月の通り道(白道)を27等分したものとされています。一方の二十八宿は、中国で発展した数えかたで、太陽の通り道(黄道)に沿って28に分け、暦づくりや農業など実用面で使われたと言われています。二十八宿には、二十七宿に「牛宿(ぎゅうしゅく)」を加えた区切りがあると説明されます。日本で現在おこなわれている宿曜占星術では、この牛宿を除いた二十七宿を使うのが一般的です。どちらが正しいというより、由来や用途が異なる二つの体系だと理解しておくとよいでしょう。